2012年のパレードは何が変わったか
皆様こんにちは。令和元年おめでとうございます。
先日は東京レインボープライド2019で、ブース「にじいろかぞく」の店番をしてきました。
実のところ、2012年を振り返ろうとすると直視しづらい記憶がいっぱいあってなかなか筆が進まないのですが、2012年に一緒に最前列をあるいてくれた世田谷区議会議員の上川あやさんや、当時のボランティアスタッフの同志Kさんとお話しできて、ちょっと心がほぐれた気がします。
Kさんは一般ボランティアスタッフ参加ながら中核スタッフ以上の執念を見せて大活躍してくれた人で、真夜中に二人で新宿二丁目のビアンバーにビラ配りのローラー作戦をやったのは楽しい思い出でした。
「いまでも思い出すのは、ビアンコミュニティにパレードの営業にいったときの冷たい反応ですね。パレードはかかわりたくないと総すかんにあったんですよ」
と思い出を話してくれました。彼女、役職持ちでもないのにビアン団体に出展依頼に飛び込み営業してくれてたんです。すごいですよね。
さて、そうなんです。わたしが委員長として団体を引き継いだとき、託されたミッションのひとつが、過去のトラブルでパレードから遠ざかった人々、コミュニティと再びつながることというものでした。
過去がどうなっていたかというと、レズビアンコミュニティから見てパレードが男女中立になっておらず、ゲイの都合で進んでいくという不満が溜まっていたそうです。それで決定的な決裂とかもあったとかで、十数年たってもしこりが残っているのだとか。
拝命してから、過去の経緯を一通り習って理解したのは、TRPのパレードが戦う相手はアンチゲイとかじゃなくて過去の歴史だということです。もう、代々木公園に神主さんを呼んで除霊したいくらい、怨念が積み重なっててもうどうにもならず、東京プライドがその頃のスタッフの系譜に連なる限り、どんなに業績を積み重ねたとしても、東京プライド自身がそれを解決することはできそうにありません。
TRPが、男性の長久氏、女性の青木氏という共同代表を最初に据えたのは、過去の因縁に答えを出すためでした。二人が辞任した後釜にトランスジェンダー(自称)のわたしというのも、ジェンダーだけみればすっきりおさまります。(素人という大問題があるのですが)
そんな過去の払拭を試みたTRPですが、当時は東京プライドの分裂騒ぎとして白眼視されていて、「私たちは分裂を歓迎しない」というメッセージを山ほど受け取ったものです。団体の実績がないうえに内紛団体のレッテル付きで、初年度は到底セクシュアルマイノリティの既存団体からの支援は受けられそうにありません。勝機は浮動票である一般参加者をかき集め、楽しく行進してイベントを成功して「まともなパレードを開催できる団体」の実績を作ること、これしかないのです。もしここでTRPが立ち消えたりしたら、分裂の上に共倒れという黒歴史が代々木公園にまた一つ積み重なって、関係者がこの世か業界を去るまで次のパレードを開催できなくなるんじゃないかというくらいまずい見通しを持っていました。
東京プライドの偉い人に「火中の栗を拾った」といわれてみたり、ドラァグの大御所に「どうしようもない状況で引き受けた」とか言われたり散々でしたが、踏み止まった価値はあったと、Kさんの言葉に救われたように思います。いまのパレードがこれでいいのかというと問題あるだろーと言わずにいられませんが、怨念の染みを一度リセットできて、いまでは各種団体が相乗りできるイベントになっている、それだけでも価値は大きかったと思うのです。
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