LGBTのロード・オブ・ザ・リング仮説

皆様こんにちは。

今年の夏は暑かったですね。

今年は、肩出しファッションがある程度形になったので、今度は背中を全部開けるようにブラ材料を海外から何種類も仕入れてはとっかえひっかえしていたのですが、ほとんど現場に出せないまま夏が終わってしまいそうです。

 

さてさて、最近のわたしはLGBT活動の中でもL属性の人に囲まれている感じなのですが、その人たちとのお話のなかで、ちょっとウケたお話があったので紹介してみます。

 

ロード・オブ・ザ・リングとLGBT業界は重なる

何のことかと思う人もいるかとおもいますが、身につまされる人も多いのではないかと思います。

何のことかというと、レズビアン、ゲイ、トランスジェンダー、バイセクシャル、他にも小分類がいっぱいありますが、これらの相互理解の低さというのが、ロード・オブ・ザ・リングの種族間の理解度の低さとよく似ているという話です。

あの世界にはヒューマンとかホビット、ドワーフ、エルフとかいろんな種族がいますが、彼らは種族相互にいがみあっていて、全然相互理解に至らない。魔王が復活するとか、世界の危機になってようやく代表チームを結成するけれど、あのバラバラぶりはLGBTの各種族にそっくりじゃない、と。

わたしのオリジナルの話というわけじゃなくて、もともと、業界ウォッチャー的なストレートの人が言い出しっぺだったと思います。

 

外野の人がこれを聞くと、セクシュアルマイノリティって団結してパレードとかやってるんじゃないの!?と驚くかもしれないと思うのですが、現実には、ゲイとレズビアンは疎遠でお互いが何をやっているのか、生態についてよくわかっていません。

 

社会運動にまで進む人たちなら調和意識が高いか?というと、そうとも限りません。ゲイはいまもHIV予防とかが大きなトピックですが、レズビアンから見たらHIVは異国の話に近い感覚であるようです。なので、イベントを大きくして大きな社会的注目を集めるために代々木公園とかに全種族が集まってみるものの、みんな求めるものがばらばらだったりします。

昔話では、この全体での活動方針で意見の一致が得られなくて、壇上で「何だと、レズのくせに!」とか叫んだ人がいるとか、数十年経った今も逸話が残っていたりします。最近でも若い子がやったイベントで、手の足りなくなったスタッフが「ねえ、ちょっとそこのレズの人!」って呼んでたんだよ…と、年長者が嘆息していましたっけ。うん、せめて名前がわからなくても「そこのショートカット子!」くらいの呼び方にはしてほしいですね。

まあ、これくらいは距離感があると思ってください。

 

これは少し考えると当たり前と言えば当たり前のことでもあります。

男性と女性は生きている世界がだいぶ違います。ストレート(ノンケとか異性愛者ともいう)の男女は、繁殖のために相手を求めるにあたり、恋愛結婚の正攻法でいくならば異性の生態を理解しないといけません。でもゲイやレズビアンの場合はこのあたりが関心が低くなりがちなようです。バイセクシュアルならわかるか?というと、こちらもまた「ゲイからもビアン(レズビアン)からもノンケだと思って相手にしてもらえない」と言っていました。トランスジェンダーも然りで、こちらはジェンダーの自覚がまじりあっていて余計にわかりにくいです。

かつてトランスジェンダーの性別移行で大きな役割を果たした「gid.jp」 を主催している山本蘭さんは2011年くらいにはパレードとかゲイには関わりたくない、とコメントされていたと思います。いわく、トランスジェンダーは、SRS(いわゆる性転換)手術したらすぱっと本来の性別に収まり、その恋愛対象は当然異性(移行後の性別からの異性)である。よって同性愛はうちには関係ない、という主張でした。

(※これは男らしさ、女らしさにとらわれすぎた純血思想に見えます。「わたしって女らしい」と自信を持つ女性が世間にどれくらいいることでしょう?2018年9月からgid.jp は再出発するそうですが、現在はもうちょっと穏やかな定義になっていることをわたしは願います)

このほかに、比較的よく知られるIS(インターセクシャル:身体の外形、内分泌系などが男女にはっきり分化しない状態)もセクシュアルマイノリティの分野に属するはずですが、わたしはまだ当事者に会ったことがありません。こちらは「自分のいまのセクシュアリティにオッケー」というLGBTの思想はいまいち当てはまらないように見えます。性と身体の問題が健康と結びついている人に現状にオッケーみたいなスローガンが響くとは思えません。

さあ、まさにロード・オブ・ザ・リングだと思いませんか?

 

東京プライドのボランティアに入ったときにレクチャーを受けたところでは、ジェンダーというのは男と女にすぱっと分かれるものではなく、虹がグラデーションを描くように、割り切れないポジションに人が生まれつくのが自然の成り行きである。生まれついたままに、すべての人々が共生するのが理想である、というようなお話でした。でも、現実にはレインボーフラッグは6色に分割されています。ある程度立場を記号にようにわかりやすくしないと取り扱いが困難なのが現実なのだとわたしは思っています。

 

なので、新宿二丁目とかはゲイ、レズビアン両方の遊び場があるようで、それらは水と油のように分かれています。そんなわけで、男女ですらわかりあえないのに、ゲイとレズビアンがもっと分かり合えないのはもう当然なのです。

社会運動に乗り出してみても、最初は自分の属するセクシュアリティのことしかよくわからない状態が当たり前で、しっかり勉強しないとミッドガルドの世界地図は把握できないのです。

トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください