プライドパレードを思い出す(6)  本番!第一回プライドフェスティバル(2009) 後編

プライドパレードを思い出す(6) 本番!第一回プライドフェスティバル(2009) 後編

車いすとおじいちゃんとセーラー服

こんどは介護つきの車いすの方がブースにやってきました。

おじいちゃんは麻痺がすすんでいるようで、ホーキング博士みたいな不自由そうな格好で車いすに乗っています。ゆっくりはっきりした声でブースの説明をしていると…おじいちゃんはフラッグよりわたしをガン見しています。わたしに何かついてるでしょうか?うん、股間にアレは付いています。でもなんでしょう。

おじいちゃんが介護者さんに文字盤を出してもらって、わたしをキッと見つめました。

英語のボードをぶるぶる震える指でたどっていくと・・・「E」「O」「N」?

「もしかして、神名龍子さん?」(インターネット興隆期以前にパソコン通信でトランスジェンダーのサイト「EON」を運営していたえらい方)

おじいちゃんはうんっとうなずきます。

寄せ書きを見ると、お名前が女性名…よっくよく見ると、ファッションもミニスカートです。ごめんなさい、おばあちゃん。

(さらにごめんなさいで、麻痺のせいでお年に見えるだけで実年齢はもっと若いらしいと後から知りました。「ハートをつなごう」にもその後出演されたとか)

寄せ書きのメッセージは、たしか「私たちは障碍者のなかにもいることを知ってほしい」でした。

多様性ってこういうこと?

多様性という言葉はこっちの世界では耳にタコができるまで聞かされますが、一人ひとりのジェンダー(性的な役割、行動様式)が多様だという問題だけじゃない、というのがこの会場で思い知らされたことでした。

ゲイでもトランスジェンダーでも、人口比で3%とか5%いるというのは、まさに世界のどこにでもいるのです。たぶん深海から宇宙まで、人類が進出したところにはどこにでもいます。

そして、人がどんな姿で生きているのかも、70億人いると実にいろいろです。日本人も日本人じゃない人も、貧民も王様も。そして人は手足が揃っている人、声で話せる人ばかりとは限らない。

終わってみて

終わってから数週間して、振り返り会が開かれました。

会場は四谷区民センターだったと思います。

よかったところ、悪かったところをスタッフが順に発言していくのですが、わたしが話したのはこんなことでした。

  • イベントの告知力がもっと要る。新聞に載るくらい。
  • 今回のフェスティバルはLGBT全分野に向けたイベントだけど、T分野に情報が流れていない。歌舞伎町のニューハーフにも知れ渡るくらいまで有名になってほしい。自分の活動テーマにすえてみたい。。

東京プライドの人たちも、トランスジェンダー分野へのリーチ力の弱さは気にしているんだと話していました。

この事態を、以前の回に登場したMさんはLGBTという看板に偽りがある、偽善だとして憎んでいました。

わたしの感想としては、決してトランスジェンダーは除け者にされているわけではなくてコミュニティへのリーチ、知名度、当事者からの関心のどれもがどうしようもなく不足していて、わたし達が参加すれば席は用意されており、楽しむ余地はたっぷりある、というものでした。

後日談

2009年のときには新米が出しゃばらないようにしていまいたが、2010,2012年のパレードのときには女装イベント「プロパガンダ」ではわたしもガンガン宣伝して、そこからの来場者もちらほら見かけるようになったのでした。

2012年のパレードが終わってから、心身ともにあちこちガタがきたわたしは女装イベントからもパレードからもすっかり遠ざかっていましたが、2014年か2015年には「プロパガンダ」のダンスチームがパレードのステージに上がったとかで、わたしがいなくなってからもまだ関心が保たれていたんだ!とわたしはとてもうれしくなったものです。

もう、「T」は「LG」の添え物じゃないですよね?

(2009年の部おわり)


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トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

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