はじまりの日(1) 価値のないわたしから

はじまりの日(1) 価値のないわたしから

皆様こんばんは。

7月に入って、女装人生はとうとう3年目にはいりました。
この一年はずい ぶん長かった気がします。

女装のきっかけのさらにきっかけを思い出すと、3年前の夏頃にさかのぼります。
その頃のわたしは、自分 の価値を上げるという漠然としたテーマに取り組んでいました。

当時のわたしは、自分について嫌いなところがいっぱいありました。

ぼ そぼそした喋り方、幅がありすぎていつも人にぶつかる両肩、伸びることをいやがる背中、内股になってしまう両足。つきだした口元、一重の厚ぼったいまぶ た。
自己主張が苦手なわたしはいつでも変な人だと思われている。
ずっと、そう思ってきました。

東京から関西の郷里に引っ 越した小学校のころ、わたしは学校にも、地域にもなじめていませんでした。
町内やクラスの子をまとめて敵に回して、一挙手一投足を嘲笑されて、国 語を朗読すると先生に褒められるかわりにクラス中のブーイングを受け、ボーイソプラノで歌うとまたクラス中のブーイングを受けて、そのうち、考えや気持ち を人に知られることを怖がるようになりました。
最初から感情なんてものがなければこの世が天国だろうと煉獄だろうとつらくないって、そのうち気がつきまし た。
生の感情と外界のあいだに真空二重サッシを入れて、何を言われても本心のところには届かないようにしました。
進学でようやく故郷を離 れた頃には、心は石のようになって、わたしってキモいんだと自分でも思うようになっていました。
キモいものをキモいといわれても別にいいのです。 本当の自分を見せたときにキモいと言われることが、もっとも恐ろしいことですから。

集団の中で自分がいやな目に遭わずにすむこ つは、平和な環境を作ってしまうことです。
貧乏くじがあったらまっさきに引いて、ひたすら周囲を安定させて成功させるというのは、それなりにうま くいく処世術ではあります。
問題は、自分の幸せというものに一歩も近づけないということですが、幸福というものを忘れているうちは問題になりませ ん。

でも、こういう綾波レイみたいなことをやっていると長生きできません。
綾波の場合は体のスペアをたくさん用意しているから、 自爆でも自己犠牲でもやり放題ですが、あれはアニメの話であってイカサマです。
サークルの会長として、また会社員として身を粉にして働いて…そして本当に身が粉々になってしまって、わたしは暫く社会からドロップアウトしたのでした。

と いうところで次回に続きます。

トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

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