はじまりの日(6) 私の知らないわたし

 「ゆきの花」に行った翌日、わたしは頭を抱えていました。

 正視に耐えられる写真は、ほんの数枚だけ。
 残りは、顔を突き出した猫背の姿勢、標準体重をオーバーしてめりはりのない体型、そして、口を突き出してぶすっとした、つまらなさそうな表情の写真の山。
 とても楽しんでいたはずなのに、顔の筋肉が動かないのですね。男の時はどれほど無表情なのか、考えると怖いです。
 女物の服や化粧は、華麗に変身できる魔法のアイテムではありませんでした。

 男の自分だと、どうせこの程度とあきらめるところだけれど、女のほうは、なぜかあきらめる気には全くなりませんでした。
 週500グラムずつ減量して、毎週どこかを改造して、女装カラオケのお店に遊びに行って、周りの人たちの反応がよくなっていくことに夢中になっていました。
 生まれつきだからとあきらめていた体型も、ファッションも、イメージも、すべてが変わる。
 手を出しようがないと思っていた壁が、端から少しずつ削れ始めたのです。

 女の姿をしていると、特別な力が使えます。
 感情表現をすると何の邪魔もなく相手に届いてしまうとか、暴れる酔っぱらいを寝かしつけることができるとか、わたしがスマイルを浮かべると、相手の顔がぱっと明るくなるとか。こんなのってはじめてです。
 このときの酔っぱらいを寝かしつけた手際は女性客に評価されて、お姉様ーと呼ばれるようになりました^^

 でも。
 どんなに綺麗に化粧をしても、半日もすれば真夏の日差しで無惨に崩れてしまう、まぼろしです。
 化粧を落としたときのギャップがどんどん広がっていくのを、どうしたらいいのでしょう。いい考えは浮かびませんでした。

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二丁目で踊ってみた

 それから半年くらいたった頃、わたしは新宿二丁目の、ゲイタウンのディスコにいました。
 男女にゲイに(レズ)ビアンに外人さんが入り交じった、空間の開放感がわたしはとても気に入りました。
 踊ること。それは、カラオケなんかとは比べものにならない、すてきな感情表現です。
リズムに合わせられるようになっていくと、周りからの評価も上がっていきました。

脱線

 だけど、お店になじんでいくうちに、どうも自分ののできあがりが予定から外れているのではないかと思うことがときどき起きるようになりました。

 女装のスタイルは、自然さが大事だと思ってやってきました。
 とにかく違和感をなくすこと、目立たないこと。それができたら、上品に振る舞うこと。
 筋肉と骨格のしっかしりすぎていることを見せないように、長いスカートやふんわりしたブラウスを選んだり、守りに徹するスタイルでした。

 なのに、男の人が声をかけてくるときは決まってセクシーだねといわれて、おとなしくて地味で清楚な路線を狙っているはずなのに、なんでかしらと悩んだり。
 そのうち、可愛いですとか、セクシーですと言うために、知らない男の人や女の子がわざわざ席に来るようになって。
 あるときは、女の子のグループがわらわら集まってきて、わたしの振り付けをコピーしています。
 これは何でしょう。この反応はおかしいです。わたしはそんな演出はしていません。
 もしかして、わたしはとてつもない勘違いをしているのでしょうか。

 さらに妙なことになってきました。
 白人のお兄さんが、「あなたが女性でも男性でもかまわないんだ。僕は両方いけるから、付き合ってほしいんだ」とアタックしてきたり、そうしたら常連のお兄さんが、ひどくつらそうな表情でわたしを見て「何で俺じゃだめなんだ」ってつぶやいているのが聞こえたり。
 声をかけてくる男の人は、社交辞令や体目当てのゲイだろうと思って話半分に聞いていたのですが、さすがにここまでくると変です。

 脱いだら男に戻ってしまうような、架空人物の女装子を相手にした恋愛なんてものはありえないと、恋愛ごっこでしかないと信じていました。
でも、信じるとか信じないとか言っている場合ではなくなりました。
 わたしは、みんなの前では「生まれたときからこんな姿のセクシーな人」と思われていて、あろうことか本気で惚れる人までいたのです。

 違うよー。これはかりそめの姿なんだけど?みんな、変な期待しちゃだめだよ。
 (次回こそ、最後)

トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

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