プライドパレードを思い出す(10) 東京レインボープライドの設立と挫折

 皆様こんにちは。

 いよいよ一番書きにくかったパートですが、2012年のパレードの顛末を書いてみようと思います。

 まず、東京レインボープライド(TRP)とわたしの関わりですが、東京プライドの砂川代表が引退する際の後継者の選挙がきっかけでした。

プライドパレードを思い出す(8) 東京プライドの後継者問題

2011年5月 東京レインボープライド設立

 このとき、青木さんに誘われて総会に参加して、結局東京プライドの代表は門戸さんになり、私達が支持していた長久さん、青木さんが共同代表として2011年の5月?に新団体「東京レインボープライド」というのを設立することになりました。このときのプレスリリースが残っていました。

東京レインボープライド、来年4月29日にパレードを開催 – gladxx 2011/05
https://gladxx.jp/news/2011/05/1462.html

「東京で開催されるプライド・パレードは、これまで東京プライドが主体となって開催されてきました。しかし、本年度は、すでに開催の中止が発表されており、また、翌年以降の開催もいまだ不透明な状況にあるなかで、毎年のパレード開催を切望する有志が集まり、新団体『東京レインボープライド』を設立しました。 東京レインボープライドは、これまでの東京プライドの実績と経験を継承、発展させるかたちでプライド・ パレードを実施し、団体の代表には田端長久と青木美枝の2名が就任します。
 初年度は5,000人の参加を、そして5年後の2016年には国内最大級となる1万人規模の、LGBTやその支援者が集まるプライド・パレードを目指します。広く開かれたイベントとして、LGBTコミュニティのプラットホームの機能を果たし、また、日本のセクシュアルマイノリティ政策への提言を行うなどといった場を提供することを目指します。
 今月29日の団体設立発表会では、LGBT コミュニティや支援者からヒアリングを行いたいと考えています」
 共同代表の一人である田端長久さんは「これまでのプライド・パレードへの関わりの有無にかかわらず、公開ヒアリングに参加していただき、アイデアやご意見を伺いたいと思います。みなさまと協働してパレードを成功させていきたいと思っております」

 東京レインボープライドのwebページにはこのあたりの代表者の名前は載っていません。私も含め て。司会の松坂牛子さんまで消したのはあんまりだと思うのですが。

 もう一つ記事があったのでリンクを載せておきます。黒歴史化した現在も記事を残してくださっているこのメディアは本当に有り難いです。

レポート:東京レインボープライド公開ヒアリング https://gladxx.jp/column/goto/1591.html gladxx 2011/5/28

 設立の際のビジョンとしては、東京のパレードはあまりに労力が大きすぎるので、東京プライドと交替で開催できるような体制を整えて、持続可能なパレード文化を維持したいというような文言になっていたのですが、実際に考えていたのは、東京プライドはもうだめかも知れない、次を用意しないとパレードが滅びるという危機感でした。

 当時のメモをみると、1月から次の団体に向けての会議が開かれて、2月19日に長久・青木代表で団体設立を可決、というような流れになっていました。

 計画上は、「カウントダウン」というイベントを用意して、週末に二丁目のハコが空いたところ(日曜日の昼間はゴーストタウン化するのです)を安く使って、勉強会とかを開きつつボランティアスタッフを集め、気運を高めて本番に臨む、というようなことになっていました。

お手伝いに復帰

 準備段階だった2月の会合に顔を出したのが最後で、あとは石原都知事デモのほうに参加したり、本番が近付いたらボランティアに入りたいなって思いつつ日常生活に戻っていたのですが、7月あたりに呼び出しがかかりました。「カウントダウン」イベントの人手が足りないので来て欲しい、ということで「GEISHA」という新しくできたクラブに行ってみたのでした。

 そこから、喫茶店で開かれるミーティングに参加してみたのですが、わかったのは準備がほぼ進んでいないとう状況でした。当時のキーパーソンは、長久ー青木代表のほかに、声が大きいのが山縣氏(2013年以降の代表)とエド(Edward Kamiya)氏です。

 スポンサーに欲しい企業のリストとかがプリントで配られるのですが、「スポンサーってこれまでどう獲得してたんですか?」「知らないわよ。でも誰か取ってきて」(エド)というような、竹槍突撃的な気合い論になっていて、目標動員数とか予算規模で東京プライドを超えろ!みたいなかけ声だけが空回りしている感じになっていました。2011年の大震災の直後です。日本が滅びる?みたいな雰囲気の中で、イベントにお金を出せる企業がどれくらいあるでしょう。大丈夫?って思いました。

 カウントダウンイベントのほうも、広報が全然うまくいってなくてハコがかなり寂しいことになっています。そこで、わたしもお手伝いとしてTwitter, Facebookのソーシャルメディアでの宣伝を引き受けることにしました。

進んでいない準備

 カウントダウンイベントのほうは、もともとは勉強会、時々クラブイベント(パーティー)という感じの案だったのですが、実際に始まってみると、ほぼクラブイベント続きとなっていました。日曜の夜にクラブイベントというのは、常識的にはまず無理なものです。サタデーナイトこそが夜遊びで、日曜に集客というと、もともとパレードに関わる意志が固い人々、あと当時入っていたイベントオーガナイザーのS氏の友人ばかりという状況で、ファンドレイジング(資金集め)の目標にはほど遠く、「たこりん」オーナーのえぐりん(江口氏)から毎月10万円の予算を出して貰っては赤字を出すという感じです。

 代表サイドのほうでは、安定した開催を目指したい長久ー青木ラインと、東京プライド越えにこだわる山縣ーエドラインの主張が膠着状態になっていて、長久さん、青木さんともに疲弊していました。

 そして、業界的にはパレード団体は分裂したと受け止められており、東京プライドは2012年8月にパレードの開催を発表し、1年に二度のパレードという未聞の事態が起きようとしていました。東京プライドとの共生というビジョンが成り立たなくなっているのです。東京プライドの態度は強硬です。

中止?続行?

 10月22日のミーティングで、長久氏より準備が進んでおらず、自身も多忙になってしまい、続行が危ういという見通しと、できれば辞任したいという以降が表明されました。

 さらに、TRPの雰囲気があまりに悪くなってきていて、もう辞めますというスタッフも続々とでてきます。空中分解が目前でした。

メモを見ると、議論では

「いまは中間地点であり、やる、止める、どちらの選択も可能」

「2ヶ月にわたり書類が出来ていないなど、代表の機能不全が著しい。リーダーシップを発揮してほしい。」

「状況は危機的に感じられる。しかし小さいパレードでもいいから実行したい。中止により信用を失うのは避けたい。仕事の割り振りなどを考えればなんとかなるのではないか。」

「現状のままでは難しいのは確か。縮小するとしたらどこまで縮小できるだろう?縮小しすぎたパレードに開催する意義はあるのか?」

「TPに負けないという意識にとらわれすぎたのではないか。ささやかな規模でやるという選択肢はある。規模が縮小すると風当たりが強くなることにはなる。」

「札幌の人数などを考えると人数が小さくてもありで、どこかにワンポイント、TRPらしい光るものをあればいいのではないか。」

「ここまでやって実績を積んでおいて引っ込めるのか?パレード本番までにやるべきタスクを洗い出してみればあと半年もあるのだから十分なんとかなる。」

「延期は?」

「延期は考えたが、これでは問題は解消しない。モチベーションの維持が難しい。縮小しても中止しても風当たりが強いことに変わりはない。」

「カウントダウンについては実行委員の育成と結束などが目的になっていたはずだが、全然そちらに向かっていない。」

「全部門を統率する牽引力となる人がいない。砂川氏のような人がいないようでは危うい。」

というような議論が噴出していました。

 議論の流れとしては、だいぶ消極的になっている長久氏と、まだいけると考える山縣氏、あきらめるには早くない?と考える若手の構図になっているのですが、背景には、規模にこだわる山縣氏とこのままやっていくとまずいことになるという長久氏、青木氏の懸念が隠れています。実際、パレードは開催にこぎ着けたのですが、2013年以降にこの懸念は現実のものとなったとも言えます。

 ここで、代表交替に向けての調整が始まったのでした。

 

トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

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