プライドパレードを思い出す(11) 委員長拝命

 だいぶ活力を失ったTRPですが、代表を交替して仕切り直すという方針になり、山縣氏はわたしともう一人で共同代表を組ませよう、と考えました。

 実は歯列矯正のローンとかで家計がよろしくなくて不安だったのですが、スタッフとして残っていたヨシさんから「頼む」と電話をもらって、この人がわたししかいないと言うのなら、と引き受けることにしました。

 もう一人の代表になったのは、大阪出身の赤羽けいじ君。大阪のパレードで共同代表の経験があるのを買われたのですが、実は実務にはタッチしていなかったことが後から判明しました。

 ここで、再生したTRPの最高位は「運営委員長」です。「代表」とはいいません。「東京プライドと差別化を図るんだよ」と山縣氏は言っていましたが、2013年にはわたしを追い出してから「代表」n就任しています。うん、この頃からそうなるとは思ってました。

TRPを蘇生する

 はっきり言って、TRPは10/22の会議でもう死んじゃった感じです。

 そこで、東京プライドの現場スタッフだけを再集結して、第二次TRPとして蘇生させなければならなくなりました。

 スタッフはぼろぼろ抜けるし、士気は最低な状態で10月30日のカウントダウンイベントを乗り切らないといけませんし。そんな中で、わたしだったら来年のパレードをどうする?というのをざっと考えてみました。

 まず、腹をくくらなければならないのは、業界の風当たりです。TRPが開催しようとしまいと、あちらのパレードは成立しない可能性が高いという見通しを立てました。というのは、昨年のパレードのスタッフはまだつながりが生きているのですが、東京プライド側と誰もつながりがないのです。(実際は東プラ側と接触のある中核スタッフは二人ほどいたと後からわかったのですが)あちらが本気で開催するつもりなら、旧スタッフの引き抜き合戦が起きるはずですが、それがないのです。

 東京プライド側のTRPへの嫌悪感はかなり強いようで、合流の望みはなさそうに見えます。(決定的な決裂に至った原因についてあとで知ったのですが、TRP側のチョンボが原因でした。エグい内容で、それは門戸さんは歩み寄れないわけだと納得しました)

 また、もし東京プライドが本気で開催を考えていたとしても、TRPが頓挫すれば、東京のパレードはもうおしまい的な風評被害で巻き添えにしてしまうから、やっぱり開催できないでしょう。

 うちが開催しなければ来年のパレードは多分ない。また、もしTRPが頓挫すれば、パレードの分裂と崩壊はLGBT業界の不和と反目の象徴となり、代々木公園に蓄積した半減期の長い怨念が安全なレベルになるまで10年はかかる。ここは絶対引き下がれない。という覚悟を固めたのです。

 もし門戸さんがこれを読んだら冗談じゃないって思われるでしょう…が、視界不良の中で懸命に考えた末の結論で、東京プライドの閉鎖体質も一因なのでご容赦願いたいと思います。

パレードに最低限必要な物は?

 わたしが代表権を頂いたので、これまで当然とされてきた、東京プライドのパレードの外形を継承するという方針についてもメスを入れることにしました。

 東京プライドのパレードで経費がかかる一因になっていたのが、「フロート」(山車)です。東京プライドでは、フロートを出す団体には補助金を出していて、これで団体はレンタカーのトラックを用意して、そこに鉄パイプのフレームを組み、スピーカーを組み付けて、飾り付けて隊列の先頭をゆっくり走らせる、というのをやっていました。なんで補助金?というと、ある程度の華やかさを維持するためという説明だったと思います。

 時は2011年。大震災で国内総自粛ムードの時に、そんな見栄を張っている場合じゃないよということで、このあたりの演出はなしにしようと提案しました。参加するであろう当事者の心の力を信じるのです。素案としては、大阪のパレードに倣って、先頭車両はスピーカー満載のオープンカーです。あとは、横断幕(たぶんレインボー柄)を持った人々だけでもなんとかなる!と。

 元気な人々を集めて元気を出してもらう。人間が主役。という考えはこのときに定まっていました。

トランスジェンダーで会社員でアラフォーで身分上は男子です。 好きなことは踊ることとお絵かきと読書。 いまは嫁と娘が居ます。 2012年の東京レインボープライドを主催していました。

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