はじまりの日(4) 声を改造する
自分の印象というものをコントロールする。
そんな目標に取り組み始めたのは、一昨年の1月頃からでした。
カウンセラーさんの助けを得て、いきなり100パーセントをねらわないこと、出来るところからやってみることが大事だということを覚えました。
もし失敗しても外見や生活に悪影響を与えないパーツとして、まずターゲットにしたのは「声と話し方」でした。
挫折しても損害はありませんし、できたら仕事で有利なのは間違いありません。
職場近くにあるボイストレーニングの学校に申し込みに行き ました。
歌手のトレーニングがメインの学校だったのですが、アナウンサーのトレーナーをしている先生が付いてくれる ことになりました。
声を変えよう
まず、通りの悪いぼそぼそした声の質を変えるレッスンがはじまりました。
ぼそぼそしているのも、鋭さのまったくないぼやけた声なのも、どこが原因なのかを先生が見つけて、そこを鍛え直します。
横隔膜のただしい動かしかたを、体操などを組み合わせて体に覚えさせます。横隔膜が発声の瞬間にきちっと動くと、胸の中できれいに声が響いて、ぼんやりした声が、バイオリンやビオラのような鋭い響きを持つ声にだんだん変化していきます。
瞬間的に息を吐くエクササイズや、舌の位置を矯正するために割り箸をくわえながら舌を当てないように声を出す練習とか、いろいろ秘伝のトレーニングメソッドがあって、一つ一つがはっきり効果が現れます。
自転車で走りながらも呼吸のトレーニングをしてみたり、変化という成果が楽しくてどんどんレッスンが進みました。
カリキュラムは、半年くらいかけて、歌声とスピーチを交互に進めていきました。
姿勢や舌や口が、声を出すことをこわがって萎縮しているのがわかってきました。
話すのが下手だとかいう技術論よりも、話すこと、伝わることをを怖がっていたのです。
「葛城さん、この防音室から、100メートルくらい向こうにいる人にむかっておーいって叫んでください」
「ぉーぃ!」
「小さい!大声を出すときには、ヒンズースクワットみたいに腰を下げて叫ぶんです」
「おーい!」
「壁のシミじゃなくて、もっと向こうへ!」
「おーい!」
「迫力なし、練習してください」
最初、同じ課題にずいぶん長く引っかかることもありましたが、だんだん声が変わってくるのがわかってきました。
面白くて毎晩マイクに向かって朗読してみたり、昼休みにカラオケルームで歌ってみたり。
そのうち、電話口での第一声も、どもらずにお返事できるようになりました。
むかしの職場では電話はとても苦手で、それを嗅ぎつけたパワハラの好きな上司が、わたしに案内メッセージを録音させて喜んだりしていました。
電話で話すことには、普通の人の5倍くらい緊張していて、早く済ませてしまいたいという意識でものすごい早口で話してしまい、相手に伝わっているかどうか反応を確かめる余裕なんて全くありませんでした。
それでも、3ヶ月くらいたったころには、壇上でも落ち着いて話が出来るようになりました。
四隅の席に視線を配って、要所要所でちゃんと聞き手に伝わっているかを確かめて、繰り返したりするくらいの余裕が身に付いてきました。
話すことについての先生の教えは、大まかにするとこんな感じでした。
「話すということを、読むことと勘違いしている人が実に多いですが、話すことの本質は、相手の記憶に残すことです。
伝わるまで話すこと。そうするために、要旨を把握して、原稿や活字にとらわれずに、表情やジェスチャーまで含めて相手に伝わる最適な手段を用いるのです。」
この心得は、話すことに限ったものではなくて、歌うときも、踊るときも、スマイルしてみせるときも、つねに当てはまる教えでした。
話し方に自信を持つことは、自分という個性に自信を持つことでもあります。
わたしはもうキモくないのです。
少なくとも声だけは。
後記
このときおぼえたスピーチ術は、その後思いがけない活用をすることになりました。
2011年、東京プライドの先行きが怪しくなって、新団体「東京レインボープライド」という団体ができたのですが、この団体が空中分解した際に、わたしが代表を引き受けることになったのです。
このとき、マイクを握って、自信ありげに語りかけることができたのは、間違いなくボイストレーニングのおかげでした。もしこの過程がなかったら、私は自信のなさそうな女装さんで終わっていて、さらに状況からいけばパレードは開催されていなかったはずです。
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