プライドパレードを思い出す(13) メンタルトレーニングを受ける。私の前世はアニキャラだった?
このときには、わたしにはメンタルトレーナーが付いていました。
こまにゃん(籠真之宮)さんです。
>https://blog.goo.ne.jp/comanya8438
こまにゃんさんはNLPというメンタルトレーニングや催眠療法を駆使するセラピストです。
出会いは偶然で、Twitterで「前世療法」というものをやったときのエピソードを紹介されていたのがとても面白かったので、「私にも前世って見える?」とコメントしたら、見えるよ!おいで!と体験イベントを組んでくれたことからお付き合いが始まりました。
この頃はまだパレードの委員長だなんて考えていなかった頃です。
催眠療法セッションをグループで数度やって、それから個人セッションで前世を見るってセッションを体験したのです。
催眠療法というのは、リラックスをもっとハイレベルにしたような感じのもので、呼吸をコントロールしながら、手足の端が重くなったり軽くなったりする感覚を意識して…はい、思い当たる人がいらっしゃるのではないでしょうか。「自律訓練法」にとても似てます。
日頃、呼吸って意識してなくて、これが正しく行えるようになると、胸から下腹部まで空気が入る感じで全身が風船のように空気を吸ったり出したりするのに驚かされました。
前世が見える?
それじゃ、慣れてきたし、今度は前世行ってみよっかー!個人セッションね!というお話になったのが、ちょうどTRP委員長を受けようかとか言っている時期でした。
場所はカラオケルームのデラックス室。真ん中に玉座みたいなシートがあって、ここで座ってみます。セラピストの誘導に従って催眠状態に入って、だんだん深ーいところに意識を向けて、ああこうして、じゃあこれから前世が見えてくるよ、はい!と声がかかります。
最初は、なかなかそれらしいのにつながりません。空を浮いていたり、人の海をモーゼみたいに割って歩く自分の視点だったり。
どうも違うらしいということで、なんどか「じゃあ、次!」というかけ声でシーンを切り替えます。
そのとき、私に見えたのは、グランドキャニオンの崖の上で立って、耳を澄まして風を読んでいるシャーマンの姿でした。キャラデザは…マクロスゼロのヒロインのサラ(下のポスターの左の人)みたいな感じです。
「じゃあ、次のシーンにいくよ、はい!」
と声がかかって、次に見えたのは、このシャーマンが今度はグランドキャニオンの谷底で、周りの見えない砂嵐の中を、一族を率いてどこかに向かって歩いて行く姿です。村が滅びて新天地を目指している途中のようです。
「じゃあ、次のシーンにいくよ、はい!」
次のシーン、私は思わず笑い出していました。
嵐を越えて新天地に着いたらしい私たちは、南国の楽園っぽいところでデッキチェアに座ってリラックスしていて、空にはキラキラ光る太陽、トロピカルなドリンクが傍らに。周りでは引き連れてきた一族がバーベキューか何かでパーティーをしているんです。
なにこれ~!と笑いながら見える光景をセラピストにお話したのでした。
期待した人には悪いですが、正確には前世という形をとって、潜在意識がいろいろ訴えてくるのをビジョン化するというのが正体みたいです。
おそらく、グランドキャニオンが出てくるのは、ディスコ仲間のE嬢がスピリチュアル体質のひとで、私の前世はネイティブアメリカンのホピ族なのよって日頃話していたところから来ていて、ホピ族の女性の写真を見ると、フードをかぶった小柄なおばちゃんで、マクロスゼロのサラとは似ても似つきません。あとで写真を見たときは、少々がっかりでした。
それにしてもこのグランドキャニオンのビジョンは、まさに、TRPでこれから起きることを予言しているようです。そしてゴールについて、私の潜在意識はずいぶん楽観的なようです。
ほかにもいろんなセラピーを試させてもらったのですが、途中には、自分を変えたい!って欲望を身体が勝手に話し始めて全身がガタガタ震え始めたり、いろいろ不思議な体験でした。
NLPを体験する
彼女の「催眠療法体験イベント」が面白いので何度かセッションを受けに行っていたのですが、そこでこのTRPの委員長の就任です。
彼女の専門はNLP(ニューラル・ランゲージ・プログラミング)といって、潜在意識とかにこんな状況ではこう反応するとか、自信が出るおまじないを自分で作るとか、そんな感じのトレーニングをして、いざという局面で最大のメンタルパフォーマンスを出そう、というもの…こんな説明であってるかな。
もう頼るしかないでしょう。
今度は公民館の和室でトレーニングです。
スティーブ・ジョブズ(当時は存命でした)みたいに自信のありそうな話し方でボランティア募集説明会でスピーチする、という状況を設定して、あれこれNLP的な仕掛けをしてもらいながら、予行演習を何度も繰り返しました。
もともとの私は小学校時代に首都圏から兵庫に引っ越して、言葉の違いとか気風の違いで適応できなかったあたりからとても対人関係に問題を抱えていました。そんな私がTRPのリーダーをやるなんて、むかしの私なら信じなかったでしょう。
TRPに関わるとか考えていなかった頃にすでにこんなトレーナーとつながりができていたというのは、やはり、TRP委員長をやるということに対して大きな流れがあったのだとしか思えないと、今でも思います。
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