プライドパレードを思い出す(14) パレード再建にはまず人から
さてさて。いよいよ東京レインボープライド2012 は旧首脳陣が退いてしまい、我が道を行くイベント班と、私達の委員長周辺グループだけになってしまいました。
イベント班って明確に分けたわけじゃないんだけど、パレードの準備とかには無関心でクラブイベントの企画に全力集中してるので、TRPは最初から分裂しちゃってます。うーむ。
残った中核スタッフ
ボランティアの取りまとめとか、実務を取り仕切ってくれたのはヨシさんです。この人は2010年のパレードで一緒の募金にいただけでなく、実は同じ町内の消防団(分団は違うので競技会ではライバル関係)にいるという奇縁で結ばれていました。近所というのは便利で、真夜中に急遽相談に行ったり、同じ新宿区民なので公民館などの手配を分担したりできました。
彼は実務にとても強くて、私とは対照的に人を覚えるのが得意です。2010年のパレードスタッフとのつながりを残していて、彼が2010年の東京プライドパレードの中核スタッフを再集結させてくれたおかげでパレードは開催できました。彼は裏方指向だったのですが、交渉事で裏方では都合が悪くなり、最後の方で3人目の共同委員長となってもらうことになりました。
また東京プライド時代にボランティアスタッフをコミュニティとして団結させる役割を担っていたHさんも、TRPの再始動にあたり残ってくれて、ヨシさんの副官のポジションについてくれました。
私の副官役は、大阪のパレードで共同代表をやっていたという赤羽けいじ君でした。経験者なので共同で委員長をやってみてよ、と山縣氏の指名で私と連名の委員長になったのですが、実は彼は代表としての実務はあまり担当していなかったとかで、トップが2名とも素人という事態になっておりました。しかも彼はプライベートでいろいろ問題が起きて、毎晩のように何時間も彼の相談とか愚痴を電話で聞くのが仕事になり、なかなか手のかかる相棒でした。
それでも、けいじ君が代表という重荷を半分背負ってくれたおかげで私も最後まで持ちこたえられたのかなと今になってみると思います。
ところで、大体日曜にクラブイベントなんてうまくいくわけがないんだけど
ところが、パレードをどう立て直す?という計画を練る余裕もありません。
毎月、TRP主催のクラブイベントが開催されていて、まずこれの今月分をこなさないといけません。だいたい、日曜の夜にクラブイベントというのが正気の沙汰ではありません。夜遊びはサタデーナイト・フィーバーと決まってて、日曜の二丁目なんて閑古鳥もいいところです。
そんな不向きな日になんでクラブイベントなんてやっているのやら。2月の時点での計画では、空いたハコ(施設)を格安で借りて勉強会とかいうプランだったのに。多分、イベントオーガナイザーをやってみたいとずっと思っていたエド氏あたりが計画を塗り替えてしまったのでしょう。
記録を見ると、初回のカウントダウン10だけは、石坂わたる議員、石川大我議員を呼んでトークをしたりしているのですが、その後はほぼクラブイベントに終始することになりました。
2011/6/26 カウントダウン10 東京レインボーアカデミー Lesson 1
2011/7/31: カウントダウン9 「真夏の夜の着付け教室」
2011/8/28:カウントダウン8 「The Last Summer Before College」
2011/9/?? カウントダウン7 東京レズビアン&ゲイ映画祭直前イベント
2011/10/30 カウントダウン6 「レインボー・ハロウィン」
2011/11/27 カウントダウン5「HIV/AIDSー現在・過去・未来」
2011/12/xx カウントダウン4
2012/1/xx カウントダウン3 レインボー新年会
2012/2/26 カウントダウン2「女装たちをミタ!参加は業務命令」
名目上はファンドレイジング(資金集め)なのですが、大体が収支は悲惨なものでした。たこ焼きバー「たこりん」オーナーのえぐりん氏が毎月の資金を出してくださって、これを元手にクラブ「アイソトープラウンジ」を借ります。それに、ドリンクの最低売り上げとかの契約がたしかあって、来場者からは入場費を頂いて、ワンドリンクチケットを配って、4~50人集めたら収支トントンみたいな計算だったと思うのですが…ええ、パレード資金が貯まるんじゃなくて、収支トントンです。そして、実際の集客は20人とかの月もありました。不足するとたこりん資金が逆に減っていきます。たこりん資金をそのままパレード注ぎむほうがずっとお得な計算です。
クラブイベントの素人が無理な日にイベントを開き、この日には生き残ったスタッフが総動員です。そして資金集めはさっぱりで、イベント班(という呼称はないのですが)のエド氏は、「もっとボランティアスタッフを呼んできてよ」とか言いますし。ちょっと、運営スタッフを資金源にしてどうするねん。と普通ならツッコミますよね。
ハロウィンイベントでの出会い
こんなことやってる場合じゃないのに、と暗澹たる気分を我慢しつつ、ノルマと化した10月のカウントダウンをまず乗り切らないと行けません。
この段階では、業界の動揺を招かないようにという山縣氏の指示で長久&青木代表が退任したことはまだ公開されておらず、私も新代表って正式には名乗れない状態で、主催者がはっきりしない状態でクラブイベントを開催するという、非常に居心地のわるいことになりました。
私は表立っては言えないけれど次期代表ということで、目立つように青いチャイナドレスを用意して、ここから本番までほぼチャイナでイベントに出続けることになります。
10月30日(日曜日)のカウントダウンは、やっぱり日曜日の夕方からという日取りの悪さもあって、宣伝を頑張った割には人出は少なかったです。
でも、ここで大事な出会いがありました。
元新聞記者の乾宏輝さんと、その上司のSさんのペアがカウントダウンイベントを観に来ていて、後日スタッフとして入りたいとコンタクトして下さったのです。お二人は同じ会社の広報部門に勤めていて、メディアのプロです。TRP2012のイベントが広くメディアに取り上げられ、LGBTの内輪のイベントが、一般社会に訴えるイベントに脱皮できたのは、ひとえにこのお二人の力によるものです。
乾さんのインタビューでは、私の魅力で入ってくれたとありまして。他のインタビューでも、私のこのハロウィンイベントでのダンスパフォーマンスがきっかけだったというお話もあって、ちょっと照れくさいです。そして、LGBT業界に全く縁のなかった彼が、ほんの4ヶ月ほどの準備期間に営業担当としてヨシさんと並ぶ柱となるまで中心に引きずり込まれて、翌年はTRP2013の代表になるという、大変な経験をされたのでした。
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